まるわかり!『チェネレントラ』~水谷彰良さんによる作品解説 Vol.2『解説』

日本ロッシーニ協会会長の水谷彰良さんによる作品解説の第2弾。作品が生まれた経緯、初演の様子、作品の特異性について紹介します。!

ロッシーニの肖像画/資料提供:水谷彰良氏

Vol.2 解説

題名:チェネレントラ(La Cenerentola)
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ(Gioachino Rossini,1792-1868)
台本:ヤーコポ・フェッレッティ(Jacopo Ferretti,1784-1852)
初演:1817年1月25日 ローマ、ヴァッレ劇場

       

18歳でオペラ作曲家となったロッシーニは20年間に39のオペラを作曲し、37歳の若さで筆を折る。《チェネレントラ》は創作の折り返し点の20作目に当たり、オペラ・ブッファのジャンルにおける彼の最後の作品でもある。ローマのヴァッレ劇場の興行師と契約を結んだのは1816年2月29日、ロッシーニ24歳の誕生日だった。現存する契約書によると、ロッシーニは第1幕の楽譜を11月末まで、第2幕全部を12月15日までに筆写者に渡し、謝肉祭シーズン初日(12月26日)の初演が約束されていた。けれどもロッシーニが持参した台本《宮廷のニネッタ》が検閲に抵触し、急遽ローマの作家ヤーコポ・フェッレッティと協議してシンデレラの題材を選んだのは12月23日の深夜だった。

       

物語はシャルル・ペローの童話『サンドリヨン、または小さなガラスのスリッパ』(1697年)に起源を持つが、フェッレッティはニコロ・イズアール作曲《サンドリヨン》(1810年パリ初演)とステーファノ・パヴェージ作曲《アガティーナ、または報いられた美徳》(1814年ミラノ初演)の台本を基に、カボチャの馬車やガラスの靴といったおとぎ話の要素をしりぞけ、上質な大人のドラマに改作した。フェッレッティの『回想録』によれば、ロッシーニは第1幕の導入曲をクリスマスに作曲し、翌日にマニフィコのカヴァティーナ、翌々日に1曲の二重唱と猛烈な速さで筆を進めたが、最後に着手したダンディーニとマニフィコの二重唱は初演前夜に書かれ、その稽古は初日の朝と上演の幕間に行われたという[註]。

1817年1月25日にヴァッレ劇場で行われた初演は、音楽の難しさと歌手の稽古疲れもあって万全ではなかったが、1月30日付『ノティーツィエ・デル・ジョルノ』紙は「音楽はまことに驚くべき独創的な美に満ち」「聴衆が熱狂的な拍手喝采を送った」と報じ、ロッシーニも母への手紙に「ぼくの《チェネレントラ》は本当に熱狂を巻き起こしました」と記している。作品はただちにイタリア全土に流布し、翌1818年バルセロナとミュンヘン、1820年にロンドン、ウィーン、ブダペストで上演され、最初の10年間に、ストックホルム、モスクワ、ブエノスアイレス、ニューヨークを含む世界中の都市で人気を博した。

ハー・マジェスティー劇場《チェネレントラ》のフィナーレ
(『絵入りロンドン新聞』1849年3月24日付。水谷彰良氏所蔵)

《チェネレントラ》の登場人物は、真摯な性格(アンジェリーナ、ラミーロ、アリドーロ)と喜劇的役柄(マニフィコ、クロリンダ、ティズベ、ダンディーニ)に分かれ、劇中で「心は薄切りメロン、脳みそは空き家」と揶揄される二人の継姉と娘の結婚で財産を得ようとするマニフィコの愚かさがグロテスクに描かれる。人間の営みに注ぐ冷徹な視線、打算的結婚への辛辣な批判は「現代社会への挑戦としてのロッシーニの喜劇性」(ブルーノ・カーリ)として後世に高い評価を得ている。アンジェリーナも王子様を夢見る受身の女性ではない。彼女はみずから従者への愛を口にし、腕輪の片方を渡してもう片方の持ち主を捜すよう求めるのだ。そんな強い意志をもつヒロインの存在も、《チェネレントラ》の魅力の源泉となっている。

註:第1幕アリドーロのアリア、第2幕冒頭合唱とクロリンダのアリア、レチタティーヴォ・セッコは協力者ルーカ・アゴリーニが作曲。

Vol.3『物語と音楽』に続く

より詳しい解説は日本ロッシーニ協会のホームページ

公演の詳細はフェスティバルホール

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