ミュンヘン・フィルを聴く前に~鈴木淳史さんの音楽エッセイ①

 「ミュンヘン・フィルのブルックナー」という文句を見ただけで、テンションが上がってしまう。1970年代から90年代にかけ、このオーケストラの首席指揮者を務めていたセルジュ・チェリビダッケが聴かせてくれた名演のせいである。時間がとまってしまうかのようなテンポのなか、広がりをもった声部が重ねられていく、異次元の音楽だった。

 チェリビダッケが亡くなって20年以上の年月が経ち、当時在籍していた楽団員もかなり少なくなった。その一方で、このオーケストラが代々伝えてきたものがある。
 それは、「おっとり」とした響きだ。「金持ち喧嘩せず」ということわざをつい思い出してしまうような、ガツガツせぬ、余裕がある響きなのである。
 たとえば、同じドイツのベルリン・フィルになると、曲のすみずみまで「俺たちうまいでしょ」という意識がぎっしり詰まっていて(聴くほうも「はい、すごくうまいです」とうなずくしかない)、こういったギラギラした意欲は、ミュンヘン・フィルには見当たらない。うまいことを決して誇らないのである。
 ミュンヘンは、ドイツ人に「住みたい街」アンケートを取ると必ずトップになる都市で、家賃も物価もお高め。そのおかげか、大都市ではあるが、街の雰囲気もどこかのどかだ。わたしなどは、ミュンヘンの空港に降り立つと、妙に気分が和む。警戒心などなくなって、眠くなってしまうくらい。

 ミュンヘン・フィルでは、一つ前の首席指揮者だったロリン・マゼールが最晩年に指揮したシュトラウスやシェーンベルクの演奏も忘れられない。あの万事ギラギラにやりたがるマゼールが、ミュンヘン・フィルでは、しみじみと心に染み渡るような音楽を奏でていた。指揮者が晩年だったとはいえ、これもミュンヘンならではのおっとりサウンドがもたらしたものではないか。
 そんなオーケストラを、チェリビダッケは長時間のリハーサルでしごきにしごいた。そして、本番になると、そんな厳しい練習があったかと信じられないくらいに、楽団員の気持ちをリラックスさせ、さらにおっとりした、開放的な音楽になるように仕向けるのだった。

 現在の首席指揮者、ワレリー・ゲルギエフは、そのチェリビダッケとは真逆といっていいスタイルである。リハーサルは短時間でテキパキとこなし、本番ではこのオーケストラの特性を生かしつつ、要所をぴりっと締めてくる。エネルギッシュなのに、どこかスタイリッシュ。
 ロシア的な原色の響きで金管を鳴らしたかと思えば、弦楽と木管を官能的に溶け合わせる。指揮者の精力的なタクトの行間に漂う、このオーケストラの余裕あるたっぷりと広がる響き。この意外性のあるコラボーレション、結構面白いものになるはずだ。


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鈴木淳史(すずき・あつふみ)
1970年生まれ。音楽エッセイスト・音楽評論。主な著書に『クラシックは斜めに聴け!』(青弓社)『背徳のクラシック・ガイド』(洋泉社)『クラシック悪魔の辞典』(洋泉社)『クラシック音楽異端審問』(アルファベータ)などがある。共著『村上春樹の100曲』(立東舎/栗原裕一郎編)が6月15日に発売予定。
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写真=ワレリー・ゲルギエフとミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(C)Natasha Razina State Academic Mariinsky Theatre


ワレリー・ゲルギエフ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
2018年11月29日(木)19:00開演
フェスティバルホール

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