ミュンヘン・フィルを聴く前に~鈴木淳史さんの音楽エッセイ③

 ブラームスの用心深さが愛らしい。敬愛していたベートーヴェンを強く意識するあまり、交響曲第1番を書き上げるのに、構想から16年もかかった。20代前半だったブラームスは43歳。旺盛な意気込みや、試行錯誤を繰り返した痕跡が、苦悩から闘争を経て歓喜へと至る音楽にしっかと刻み込まれている。

 次の交響曲第2番は、逆に短時間でサラリと書いた。明朗かつ優美な美しさ。それでいて、前作よりも動機が曲全体に緊密に張り巡らされているという、さりげなく高レベルの完成度。「交響曲を書かねば」という肩の荷がすっかり下りブラームスは、ずいぶんリラックスして作曲したのだろう。その最終楽章は、ウンチをしたばかりの猫がトイレを抜け出してハイテンションで走り出すような快暢さだ。

 ピアノ協奏曲の場合はどうだったのか。ピアノ協奏曲第1番は若い時代の作品。最初の交響曲ほど時間をかけたわけではないが、作曲にあたっては試行錯誤を重ねたらしく、やけに重々しく響く。さらに、ピアニストが超絶技巧を華麗に披露する、いかにもロマン派的なスタイルを追い求めようとした努力も、ひしひしと伝わってくる。ブラームスは自分に向いていないことを一生懸命やったのだ(そこが、この作品のもっとも愛される理由かもしれないが)。

 一方、ピアノ協奏曲第2番は、円熟期に書かれた。作曲技術が向上したこともあり、第1番よりも、ずいぶんと風通しの良さが感じられる作品である。なんといっても、ピアニストが主役で、オーケストラが脇役を務めるという、ロマン派協奏曲の枠に囚われていないことが特徴だ。それでいて、第1番以上に高度な技巧が要求されるという、ピアニストにとっては難曲の一つでもある。

 ピアノとオーケストラは室内楽のように緊密に絡み合い、また一体化して、シンフォニックに鳴り響く。これこそ、ブラームスの本来書きたかった協奏曲だったのではないか。  前例や制約に倣おうと苦しみ、そして学んだあと、そこから自由になったときに、新しい世界がぐんと拓ける。あるいは、その場の空気に合わそうとがんばって派手な装いをしていたのをやめ、自分にぴったり合った身繕いを見つけ出したときの快哉といったらいいだろうか。

 今回の公演で、ピアノ独奏を担当するのは、ユジャ・ワン。こちらの身繕いは派手目。カラダにぴったり合った露出度マックスのドレスが話題になりがちなピアニストだが、そのテクニックは驚くべきものを持つ。
 しなやかで弾力性のあるリズム。クールなたたずまいのなかに垣間見せるメタリックな煌めき。とにかく、何から何まで、みずみずしい。
 富山の方言で、新鮮な魚などを指し示す形容動詞に「きときと」という言葉があるのを知ったとき、真っ先にこのピアニストのことが脳裏を駆け巡ったものである。ブラームスの啓いた新しい世界をきときとの演奏で聴ける悦び!


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鈴木淳史(すずき・あつふみ)
1970年生まれ。音楽エッセイスト・音楽評論。主な著書に『クラシックは斜めに聴け!』(青弓社)『背徳のクラシック・ガイド』(洋泉社)『クラシック悪魔の辞典』(洋泉社)『クラシック音楽異端審問』(アルファベータ)などがある。共著『村上春樹の100曲』(立東舎/栗原裕一郎編)が6月15日に発売。
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写真=ユジャ・ワン
(C)ian douglas


ワレリー・ゲルギエフ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
2018年11月29日(木)19:00開演
フェスティバルホール

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