「祈りをつなぐ声と音」。 大内典さん(音楽文化学)が聴いた東大寺 修二会の声明

緩急をつけて唱えられ、力強く抑揚に富む東大寺 修二会の声明は、1970年代ごろから研究者や音楽家たちに注目され、高い関心を集めてきました。

日本の宗教文化を、儀礼で用いられる声や音から研究されている大内 典・宮城学院女子大学教授(音楽文化学)に、東大寺の声明が持つ豊かな「声の技」について寄稿いただきました。



祈りをつなぐ声と音

大内 典・宮城学院女子大学教授(音楽文化学)

 「ああ、これは!」 東大寺二月堂のほの暗い局(つぼね)に身を置いたとき、思わず心の中で手を打ちました。修行の場特有の張りつめた空気の中、数珠や法螺貝(ほらがい)、鈴(れい)など法具の音が印象づける仏の世界、そして唱え言や声明(しょうみょう)[音楽的な読経]など種々の「声の技」が生み出す祈りの力。「お水取り」は、声や音から日本の宗教文化を探る私の前に、納得と新たな発見がつまった宝の蔵として現れました。

 多くの宗教において、聖なる教えは言葉となり声に乗せて伝えられます。教えを生きた力にしたいという思いが、その声に表情をもたせます。インドに起源をもつ仏教は、聖なる教え「ヴェーダ」を詠唱する文化を引継ぎました。とりわけ日本では、仏の教えを伝え、実践する「声」の力が重んじられ、人の心に訴える豊かな「声の技」を生み出しました。「お水取り」には、その多様な形がふんだんに盛り込まれています。

東大寺の修二会から。撮影:三好和義

 代表格は、「南無観コーラス」の異名をとる「宝号(ほうごう)」の段。本尊である観音菩薩のお名前を、「南無観自在菩薩」「南無観自在」「南無観」と、儀礼の進行に合わせて変えながら、特有の節回しで唱えていきます。絶妙の間合いをとりながら、あるいは声を重ねながら、頭(とう)[声明のリーダー]と他の僧侶との間で交わされる「ナムカン…」の力強い唱和は、実に印象的です。

 呼びかけと答えを繰り返す手法は、広く世界の音楽にみられます。とりわけ、祈りの場で、また命をもかける切迫した場で交わされる声の力は、集団の強いつながりを生み出してきました。東大寺の修二会は、この世の除災と安寧、そして生を支える実りへの祈りを、「不退」の覚悟で伝えてきた法会。参籠(さんろう)する練行衆の決意と結束はいかばかりだったでしょう。「南無観コーラス」が私たちの心を捉えるのは、その響きの中に、千数百年以上の時を超えてつながれてきた覚悟を聞き、引き込まれ、思いを共有するからかもしれません。

 僧侶の声には独特な響きがあります。それは、僧侶となる修行と僧侶として積み上げた経験によってつくられます。どれほどすぐれた声楽家にも真似できないものです。わけてもお水取りの練行衆の声は、祈りの前提となるひたすらな懺悔(さんげ)の結晶。その迷いなさ、潔さが、人の心を打つのだと思います。おもしろいことに、大学の授業で取り上げると、K-POP、ラップ・ミュージック、ボカロに馴染んでいる学生たちが、不思議なくらい聞き入ります。

東大寺の修二会で行われる「五体投地」。撮影:三好和義

 さらなる宝が、祈りの声の効果を立体的に支えるさまざまな音。練行衆が履く差懸(さしかけ)の音、膝で五体板を打つ五体投地(ごたいとうち)の音には懺悔への覚悟が、法螺貝や鈴の音には浄化への意志が聞こえます。これらは、「お水取り」を超えて、日本の暮らしの中で育まれた信仰習俗にも通じる智恵。力強く打ち鳴らし踏み鳴らすことで邪悪な存在を鎮め、眠れる力を呼び覚まし、徹底した浄化によって新たな力を得る。人の生の根本を支えてきた音の文化です。

 思いもよらぬ感染症、戦争、天災に翻弄され、人の脆(もろ)さに向き合う今。時を超えて受け継がれてきた声と音の文化の智恵が、一層深く、心に響くのではないでしょうか。


大内 典 Fumi Ouchi

宮城学院女子大学教授(音楽文化学)。ロンドン大学東洋アフリカ研究院でPhD取得。日本の宗教文化を、儀礼で用いられる声や音から研究。主著として『仏教の声の技―悟りの身体性』(2016年、法藏館)[第34回田邉尚雄賞]がある。

top