画家の絹谷幸二さんは、東大寺にほど近い 奈良市元林院町の出身です。
生家である料亭「明秀館」には、数多くの文化人が集い、古美術品に囲まれて育ったといいます。
修二会に触発された「炎炎 東大寺修二会」(2008年)という作品もある絹谷さんに、幼いころから親しんだ修二会についてお話を伺いました 。
■「命の愉(たの)しさ」を教えてくれたお水取り
「お水取りが明けると春が来る」という言い習わし通り、修二会は、永遠の生命がつながり、春が巡り来ることを示す象徴的な行事となっています。
命のつながり、そして命の愉(たの)しさを、春を前にして私たちに教えてくださるのが修二会です。まさに私の絵の根幹にある考え方ですが、これは、私が奈良で育つうちに自然と身につけた、作法のようなものだと思っています。
子どものころ、夜中に外出することはまずありませんでしたが、お水取りの時ばかりは、家族に連れられて出かけました。燃えた炭を持ち帰り、お餅を焼いてもらった記憶もあります。
あの寒い夜中の光景、松明の炎、そして十一面観音を供養されるお供えのお水。そういうものが一体となって、奈良漬けのように私の体に住み着いています。
■上司海雲管長の思い出
当時の東大寺管長、上司海雲(かみつかさ・かいうん)和尚は、私の家へしばしばおいでになり、画家の富本憲吉さんを始め、奈良に来られる文化人の方々と心安く交流しておられました。
私を「ぼんこさん」と呼んで可愛がってくださいました。最後のころには病を患われて、本来なら病院に入らなくてはいけないところを、「仏様のもとに行くのだから手術などする必要はない」とおっしゃったのが強く印象に残っています。生と死さえも別々のものではないという構えを、幼い私にも見せてくださっていたんですね。
奈良という地に生まれ、修行僧の深い心を身近に感じながら成長することができたのは大きな財産です。もちろん東大寺の戒壇院の仏像を描いたり、奈良国立美術館でスケッチをしたりもしましたが、理念としての大きな仏教のありかたを間近で拝見できたことは、私の芸術活動にとってかけがえのないことでしたね。
二月堂にのぼって西を向きますと、奈良平野を一望し、夕日が見える。それは後に私がインドに行って、(パキスタン、アフガニスタン国境の)カイバル峠で見た夕日とまったく相似形なんですね。そういう大きな構えを、学ぶことができました。
■相反するものは、実は一つである
また私にとって修二会は、「火と水」という対照的な二つのものが、実は一つであるという大切なことを、具現されている法会でもあるのです。
「相反する二つの概念は別々ではなく、一つのものの部分である」。これは維摩経にある、「不二法門(ふにほうもん)」と呼ばれる教えです。
また、華厳心経の教えの中には、「仏とは何かと人に問われたら、それは画師(がし)のようなものだ」とも書かれています。絵に代表される創造力・空想力や想像と、現実というものは、実は一つであることを指示しているのです。
私たちの身体の中には、水と油という相反するものが同居している。また例えば料理にも、砂糖と塩が欠かせません。生と死も同様です。
絵もそうですよね。赤い色だけを混ぜていてもいつまでもただの赤ですが、そこへ緑を混ぜてみる。工事現場のブルーシートのような、単純な青にオレンジ色を混ぜてみる。すると非常に美しい色になる。
お水取りでいう、火と水の関係ですね。これもまた私の芸術を支えてくれる大切な考え方になっています。
絹谷 幸二 Koji Kinutani
1943年生まれ。東京藝術大学を経て1971年のイタリア留学によってアフレスコ(壁画技法)をさらに深め、帰国後、歴代最年少にて画家の登龍門である安井賞を受賞。多彩な技法を駆使し、エネルギーに満ちあふれた独自の画風を確立した。現在はシュルレアリスムと抽象表現主義を総合したような画面構成に漫画的吹き出しを組み込む事で、現代的な具象画の探求を行っている。1997年長野冬季オリンピック・ポスターの原画制作、2008年渋谷駅の壁面にパブリック・アートを設置。2014年文化功労者。
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