「衝撃のアートパフォーマンス」。 パーカッショニスト、スティーヴ エトウさんが見た修二会

奈良在住のパーカッショニスト、スティーヴ エトウさん。初めて東大寺の修二会に触れたときは、大変な衝撃を受けたといいます。
その後、縁あって、修二会のスタッフ役である「仲間(ちゅうげん)」「小院士(こいんじ)」を務めることになります。
ミュージシャンにとっての修二会の強さ、そして中から見た修二会について、語っていただきました。


ロックファンのお坊さんと出会う

2008年に東大寺の大仏殿前で開かれた布袋寅泰さんのコンサートに参加したとき、東大寺のお坊様と仲良くなったんです。森本公穣(こうじょう)さん、今年のお水取りに新大導師[大導師は勤行の先導役。その役割を初めて務める人]として参籠(さんろう)される方です。

私はこのようにヘアスタイルが同じなので、話しかけやすかったのではないでしょうか。その公穣さんから奈良の人の輪が広がっていって、東京から移住するきっかけになりました。堂本剛さん[奈良出身]のソロプロジェクトにかかわっていたこともあって、奈良に来る機会が多くなり、2015年の元日に住民票を移しました。


■衝撃のアートパフォーマンス

ある年の3月、お水取りなど知らぬまま二月堂へ誘われたのです。夜の10時ごろでお松明はもう終わってしーんとしている。そこへ練行衆(れんぎょうしゅう)[修二会に籠る11人の僧侶]が、集団でガタガタガタガタっと入ってきて。寒いし暗いし、「ここでこれからお経でも聞くのか」と、絶望的な気持ちになったんです(笑)。

ところが流れてくる声明がなんとも音楽的に美しいでしょう。しばらくすると、インドネシアのケチャみたいなのが聞こえてきて、「なむかん、なむかん」と掛け合いになりました。
あるいは突然立ち上がって、差懸(さしかけ)という木の下駄でお堂の床をだーっと走り出したり、ジャラジャラしたものが鳴り出したり、法螺貝を吹きまくったり。「このカオスはいったい何だ? ものすごいアートパフォーマンス!」とびっくり。

だいたい僕らがライブをやれば、目の前のお客さんをなんとか盛り上げようと煽るではないですか。でもお水取りの行は、当然ですがこちらに対して能動的な動きは何もない。粛々とやっているだけなのに完全に引き込まれてしまう。

明かりはほとんどなく、戸帳の向こうがわは見えるようで見えず、こんな条件にもかかわらず引き込まれるってどういうことだとショックを受けてしまい、何度となく通ううちに、森本さんが「スタッフ役として手伝ってみませんか」と。練行衆の一人が 、日々、 書き記す日誌に「スティーヴ エトウってカタカナが残りますよ」とも言われ、「儚く消えてしまうデジタルデータと違い、私が生きた証として数百年後にも残る。やるしかない」となりました。


■付き人へ、そして厨房係へ

お水取りに参籠するのは11人の練行衆に加え、三役や童子、スタッフ役を含めて39人です。2017年、僕はその一員になりました。

初めの2年間は「仲間(ちゅうげん)」、これは練行衆の付き人です。四職(ししき)という幹部4人に1人ずつ当てられるんですよ。着付けの手伝いから布団の片づけ、掃除、下堂されてからの食事の給仕なども。

3年目から「小院士(こいんじ)」といって厨房の係になり、4年間続けました。厨房には3人いるんですよ。大炊(おおい)というリーダーは、大きな釜で飯炊き専門。院士(いんじ)と小院士は、おかず作りの主任とその補佐です。

お米は十一面観音に捧げるもので、その尊いお米を扱うから大炊がリーダーなのではないかと思います。僕は「ランチの行」って呼んでますけど(笑)、食堂作法(じきどうさほう)というお昼の行のメインはご飯。一人前とは思えないようなご飯の山を盛り、それを前に置いて、行を終えてからようやくいただく。

本行の間、練行衆は昼を召し上がったら上堂されます。夕方に一度下りてきて、ちょっと休憩したのちに、お松明とともに夜の行が始まるんですが、深夜の下堂まで一切飲み食いはされません。

食堂作法に臨む練行衆=1936年3月、奈良・東大寺/朝日新聞社提供


■お水取りは小劇場?

初参籠のときは緊張しましたが、始まってみたら我々ミュージシャンが言うところのリハーサル、通しリハ、そして本番初日という流れがまったく同じでした。いや、小劇場に近いかもしれません。舞台装置も全部自分たちで作りますからね。

出演者も一緒になって椿の造花を作り、二月堂内陣を飾るのは中に入れるお坊さん11名のみ。総力戦でお餅をついて1000個以上用意するんですが、それをひたすら祭壇に積むのも練行衆の役割です。そして食事は我々の炊き出し。劇団みたいですよね。

夜中に行を終えた練行衆が下りて来られて、その日のことを話すんですけど、それが我々と同じような楽屋トークなんですね。「お前、今日は声がよく出ていた」とか「テンポが速くなかったか」とか、「数を間違えたんじゃないか、どうなんだ」とか。聞いていて面白くてしょうがなかったです。

二月堂内陣の須弥壇に供える餅をつく様子。奥ではつきあげた餅の形を整えている=2010年2月、奈良・東大寺戒壇院/朝日新聞社提供


■ミュージシャンとして影響を受けたこと

昨年11月、奈良の春日大社で演らせていただいた奉納演奏では、例えば鈴を一発シャーンと振ったらしばらく動かず、その「間」、聴こえそうで聴こえないものを聴かせようと試みました。

音が小さい方がみんなこちらに集中する。照明も入れずに、電球2個だけを立てて暗い中で演りました。ミュージシャンとしての引き出しに、お水取りが大きく加わってしまいましたね。

今年は全国ツアーの仕事が入り、7年ぶりにお水取りを離れたので、とても寂しい気持ちです。本行が始まったら一人でレシピを取り出して、家で同じ献立を作っているかもしれません。



スティーヴ エトウ  Steve Eto

1958年、米ロサンゼルス生まれ。父は箏曲家 故・衛藤公雄。弟は和太鼓奏者レナード衛藤。1980年代よりバンド活動を始め、爆風銃(バップガン)、PINK、PUGS、デミセミクエーバーなどで活動。演奏家としては西田敏行、小泉今日子のデビューツアーから始まり藤井フミヤ、COMPLEX、大黒摩季など多くのアーティストをサポート。布袋寅泰の東大寺公演、堂本剛の薬師寺や奈良市でのロングラン公演をきっかけに2015年 奈良へ移住。二月堂 修二会(お水取り)に僧侶らとこもり、仲間(ちゅうげん)、小院士(こいんじ)の役を務める。

2022年11月、奈良・春日大社での「春日若宮神社正遷座 奉納コンサート」で演奏するスティーヴ エトウさん/撮影:桑原英文

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